はじめに


ーここの文章はわたしの集大成です。
わたしの死後も残ってみんなに読んでもらうよう、
より正確を記すために、
約20年間、何度も何度も、それこそ百回以上も、推敲を重ねてきました。
おそらく死ぬまで推敲を重ねていることでしょう。



1はじめに結論を言います。

あなたは神です。
この世で唯一の神です。
あなた以外に神はいないのです。

あなたは、
自分が神であることに気づけないから
苦しんでいるのです。

あなたが、
自分が神であることに気づいた瞬間に
すべての苦しみが一瞬にして消えて
すべての問題が消えます。

消えない問題はありません。

そして、
すべての問題は
あなたが神であることに気づくことによってしか解決できないのです。
だから、
あなたは
神になる以外にないのです。
あなたはすでに神なのです。
だから、
「神になる」というのは間違いで、
神であることに気づくのです。


2,あなたは個人になっているか、
神になっているか、
のどちらか、です。



あなたは生まれた時は神でした(上の図)。
ところが、
物心ついたころから
「お前は個人だ」洗脳攻撃が次から次へとやってきて、
とうとう、
自分は個人だと思い込んでしまっているのです。

それが苦しみの人生の始まりです。
個人だと思い込んでいることが苦しみを発生させます。

そしてさらに、
苦しみは
「あなたは個人ではない」と教えてくれているのです。
それは、
ウルトラマンの胸の赤信号のようなものです。
(ところで、
個人が悪魔です。
悪魔は個人以外にいないのです。
悪魔は悪魔であるがゆえに苦しいのです。
悪魔は神にならない限り苦しんでいます。)

ところが、
殆どの人は
自分の苦しみをごまかしています。
酒を飲んだり、薬物に走ったり、趣味をしたり、
これでは、
何をやっても苦しみが消えることが絶対にありません。


3,苦しみに面と向き合うことです。



人生のある時期から、
わたしはすべてのごまかしをやめて
苦しみに面と向き合いました。

ところが、
先にも言ったように
多くの人間は苦しみから逃げています。
酒に走ったり、
薬物に走ったり、
音楽に走ったり、
などなど、
すべての趣味は苦しみからの逃げ、でしかないのです。

ところが、
逃げていたら、
死ぬまで苦しむだけです。
いや、
死んだからといって問題が解決するわけではありません。
その苦しみは
あなたの死後も
子々孫々にまで及んで、
子々孫々を苦しませます。
それを
カルマといいます。
要するに、
ご先祖が解決できなかった問題が
わたしに降りて来て、
今、わたしが苦しんでいる、
ということなのです。
だから、
子々孫々のためにも、
あなたが苦しみに向き合って根本的に解消すことが必要なのです。
それが、自分が神であることに気づくことです。

それこそがあなたの生まれてきた役割なのではないでしょうか。
(それがわたしの役割だとわたしは自覚するようになったのです。)

4,苦しみに向き合うと、
死にそう(あるいは殺されそう)になります。
→死になさい。

苦しみに向き合うと、自分が殺されそうになります。
それは自我=個人が殺されるのです。
今までのあなたは自我=個人でした。
苦しみを発生しているのは自我=個人です。

自我=個人こそが唯一の悪魔なのです。
悪魔は自我=個人以外にないのです。
そして、
その悪魔が殺されるのです。
それが死にそうになる恐怖なのです。

ところが、
殆どの人は殺されそうになるのをいやがって、
苦しみに向き合うことから逃げます。
ところが、
逃げれば逃げるほど苦しみ地獄は相変わらず続くだけです。
それどころか、
いよいよ苦しくなるだけです。

それに気づいたら苦しみに面と向き合うしかなくなります。
そこにしか救われる道はないのですから。
それがわたしでした。

わたしは
それに気づいているから
決して逃げないで、
「殺すなら殺せ!」
とばかりに、
覚悟を決めて
苦しみの底に飛びこんでいきました。







5,すると、
苦しみの底が抜けて
「ぽっかり穴」が出現しました。



苦しみの底には「ぽっかり穴」が存在していることに気づいたのです。
「ぽっかり穴」こそが他次元=天国への穴なのです。

一旦「ぽっかり穴」を発見すると、
いつでもどこでも「ぽっかり穴」を見ることができます。
見ようと思いさえすればいつでもどこでも出現するのです。
これまで、
なぜ、見えなかったかというと、
あなたの心がこの世に支配されて、
思考にはまっていたからです。

「思考はまり」から
抜け出す方法が
「一点集中見る見る」で両親に感謝することです。

そして、
「ぽっかり穴」がこの世のものをすべて吸い込んで無限にしてくれます。
すなわち、これが天国です。


6,「ぽっかり穴」に入って「ぽっかり人」になる。

「ぽっかり穴」とは他次元=天国のことです。
地獄から天国を見ると、
「ぽっかり穴」に見えます。
でも、
「ぽっかり穴」を見ているだけでは
まだわたしは地獄にいます。
だから、
まだ、
個人=自我は続いているのです。
まだ終着点=天国ではないのです。




「ぽっかり穴」に入って「ぽっかり人」になることが神になることです。
それが終着点です。

「ぽっかり穴」を見ているわたしはまだ個人のままです。
だから、
まだ、
完全なる境地には行きついていません。
そのため、
自分はまだまだだ、
という感覚があります。

そこで、
「ぽっかり穴」の中に入っている人がわたしだ」
と指摘するのです。
それが本当のわたしだからです。



すると、
あなたは
「ぽっかり人」になっています。
それが神です。

7,「ぽっかり人」になるとは神になることです。
「ぽっかり人」になると、
そこには絶対無条件の幸せがあるだけです。
(それを仏教用語では法悦と言っています。)
わたしが光そのものになります。

「ぽっかり人」になると、
思考が消えています。
思考がやってきても
それはわたしではない、と気づいています。
空っぽがわたしなのです。
それをわたしはニンノと称しています。
(神とすると色んな先入観を持ってしまうから。)

「ぽっかり人」になると、
この世ののすべてが幻に見えます。
だから、
この世のすべてが幻だから、
この世で何が起こっても、
痛くも痒くもありません。

何もしないのに、すべてがうまくいっていることがわかっているのです。
わたしのおかげですべてがうまくいくのです。
わたしは神だから。

そして、
「ぽっかり人」になると、
わたしはこの宇宙を超えています。

宇宙の中にわたしがいる(それが個人としてのわたし)のではなく、わたしの中に宇宙があります(それが神としてのわたし)。
そのわたしがこの宇宙全体を調和にしているのです。


まとめ
生まれたての頃のわたしは神だったのです。
でも、
いつのまにか、
周囲の影響で、
個人にさせられしまい、苦しみの世界に喘いでいたのです。
そして、
苦しみに面と向き合うことで、
苦しみの底が抜けて、
本当の自分=「ぽっかり人」=神に戻ったのです。

これですべたが、めでたし、めでたし、です。

ところが、
いくら文章で説明しても理解できるものではありません。
実際にあなたが「ぽっかり人」=神になってみることでしかわからないのです。

                                 令和5年9月1日書き換え






以下は以前の文章です。

序章:結論をはじめに言います。

いろいろと、
ぐだぐだ書いていますが、
結論だけを先に書いておきます。
結論だけみればあとは見なくてもいいように。

1,あなた以外に神はいない。唯一あなただけが神である。

だから、
あなたが神にお願いをした瞬間にあなたはアウトになる。
あなた以外に神はいないのだから。

これが結論です。

あなたが混乱しているのは
自分が神(=超宇宙的存在)であることに気づいていないから。
あなたが
自分が神であることに気がつくと、
すべての問題が瞬時に消えて無くなります。
なぜならあなたが神であることに気づくと、あなた以外のものすべてが幻と消えるから。
なぜなら唯一あなただけが存在するから。
なぜなら、
この世も、この宇宙もすべてが有限であり、
それに対して
神であるあなただけが無限なる存在だから。


2,それでは、どうすれば自分が神であることに気づけるのか。

自分が唯一絶対の存在=神である、
と思い続けることです。
すると、次第に、
自分が確かに唯一絶対の存在=神であることが次第にわかってくるから。

なぜなら、
それは事実だから。
それは打消しようもない事実だから。
すると、
あなたは自分が神であることに、
どんどん腑に落ちてくるはずです。
これまでのわたしもそうでしたから。


3,あなたは唯一絶対の神だから。決して誰にもついて行ってはいけない。

☆誰とも、集団になってはいけない。

だって、
あなたしか神はいないのだから。
唯一絶対に存在するものがあなただけだから。
あなた以外に神はいないから。

あなた以外のものが集団である。
集団とは個人の集まりである。
あなたが誰かと集団になるとあなたは神ではなくなるから。
集団なんて存在しないから。
集団なんてまやかし以外の何ものでもないから。

集団にだまされるな。
決して集団になるな!
(すべての宗教もそうです。)

☆そして、決して「どうしたらいい?」と人に聞いてはいけない。
すべてを自分一人で決めること。
どんなに大変でも誰にも聞かないで自分だけで決めること。
(あなたはつい誰かに「どうしたらいい?」と聞く癖がついている。
なぜなら、
物心ついたころから「誰かがあなたに教えてくれるだろう」
というのを洗脳されているから。)
これが、
あなたの人生が混乱している原因である。

誰にも聞かないで、
じっと、自分自身に聞くことである。
「どうしたらいいか?」と、
すると、
必ず自分の中から正解がやってきます。
そしか正解ではないから。

自分で出した以外の答えはすべてが嘘偽り。
だから、
絶対に人に聞いてはいけない。
自分よりよく知っている(とあなたが思っている)誰かに答えを聞こうとするのもアウト。
そんな人なんかどこにもいないよ。
あなたの周りには
あなたに知ったかぶりして教えようとしている人ばかり。
だから、
それに騙されるから

あなた以外に真実を知っている人なんかいないから。
本当だよ。

知識も嘘。
みんな知識を追い求めるから魂を忘れる。
知識ではなく魂=光なんだよ。
それを神と言っているんだ。

だから、
自分の中から答えが出てくるのをじっと待っていたらいい。
すると、
必ず、正解が出てくるから。
それ以外にないよ。
(わたしはそれはを「ぽっかり穴」から答えを出す、と言っている。)

それには、
ただ一人でいること。
それが瞑想の真髄だよ。
本物の瞑想をすると、一人=神になれるから。


だって、
神の世界には二人はいないから。
あなたしかいないから。
徹底して一人でいることを追求するのが瞑想である。

逆に、
二人でいると神が消えてしまい個人になってしまうから。
あなたが目の前の誰かを気にして存在させた瞬間に
あなたは神から個人になっている。
これが不調和波動の世界=地獄である。
この世のみんなが不調和波動=地獄の中で苦しんでいる。
それは二人の世界が当たり前と思って信じて疑わないから。

そのような地獄を、
消してしまうのが神。
すなわち、
唯一あなただけが存在する世界=神の世界、なのである。


4,一の世界=神の世界

あなたが
あなた以外のもの(=これ、あれ、この人、あの人、この世など)
を存在させた瞬間(これが「二の世界」)に神から個人になってしまう。
すなわち、
天国から地獄になる。
これが不調和波動の世界。
我々が当たり前に住んでいる(と思っている)この世界。

あなた以外の、
これも、あれも、彼も、みんなも、地球も、宇宙も、存在させてはいけない。
これらすべてが幻にしかすぎない。

ただあなただけが存在するのだから。
(これが「一の世界」。あるいは
、超宇宙的存在、あるいはニンノと呼んでいる。)
それが事実だから。
だから、
唯一あなただけが存在しているのが神だよ、
あなた以外に神はいないよ、
と言っているのだ。


5,二の世界=個人の世界(=地獄)

ところが、
あなたは物心ついた頃から、
お前は何月何日に生まれた個人である。
そして、
どこそこの出身で、
家族がどれだけいて、
どこに住んでいて、
職業が何で、
肉体を持っていて、
ついには
死ぬ運命にある個人である。
と思い込まされている。

人は神として生まれてきたのに、
物心つく頃から
よってたかって「あなたは個人だ」という教育をされしまい、
個人になり下がっていく。
それが悪魔に騙される行為。
そこから苦しみが始まっている。


6,あなたは生まれもしなかったし、死にもしない。それがあなたの正体だ。

あなたの正体は無限なる存在である。

時間的にも、空間的にも。

そして、
あなたは「姿形がなく」在るもの、である。
あなたの正体はこの宇宙全体に普遍的に浸透しているものである。
宇宙をも超えて浸透しているもの。
あなたはすべてのものに浸透しているものである。
これもわたし、あれもわたし、すべてがわたし。
あなたでないものは何一つとしてない。

(ところが、
個人になると、
わたし以外のすべてが敵になる。
それが
地獄のこの世を出現させているのだ。)

そして、
あなたが存在するからこそ、この宇宙もまた存在できるのだ。
この宇宙を存在させているのはすべてに浸透しているあなたなのだ。
あなた無くしては
この宇宙さえ存在しない。
唯一なる無限なる存在があなたである。
この宇宙は有限で、あなたは無限だから。

「姿形あるもの」だけが死ぬ。
「姿形あるもの」は有限だから。
個人のわたしは
肉体がわたしだと思っている。
そして、
肉体脳(そこから発生するのが思考)がわたしだと思っている。

でもこの肉体は消えてなくなる。
肉体脳も消えてなくなる。

肉体の脳(=思考)が自分だと思っていることが不安を発生させる。
不安は
あなたは個人ではないよ、
と知らせているのだ。

あなたは決して消えない。
肉体の脳が消えてもあなただけは消えない。
思考が消えてもあなたは消えない。

この宇宙だって消えて無くなる。
この世だって。
この肉体だって。

それに対して、
あなただけは決して無くならない。
唯一存在するのがあなた。
あなたは超宇宙存在であるから。

あなたの正体は肉体でも個人でもないから。
あなたは無限なるものである。
姿形のないもの。

そう言われると、
どこか腑に落ちるものがあるはず。
確かにそうかもしれない、と。

それが「内なる声」である。
「内なる声」に従っていくと、次第に自分の正体がわかってくる。
すると、
不安が消え去る。
不安が完全に消え去っているのが、
あなたが神になった証拠。


7,じゃあ、あなたの正体はいったい何なのか?

他人に「あなたはこれだ、あれだ、」と、言われるのを拒否して(他人なんて存在しないのだから)
自分自身で「自分は誰だ」と気づくこと。

それには自分の内側を見てみたらいい。

それが
瞑想の真髄である。

あなたの中心には何もないはず。(それを自分で確認すること)
わたしはそれを「ぽっかり穴」と称している。

そう、
あなたの正体は「何もないもの=ぽっかり穴」である。

ところが、普通は
「何もないもの」は「何もない」と思い込んでいる。
そうではない。


8,事実は、「何もない」が唯一在るものである。

「何もないもの」が唯一存在するものである。
それが「無限なるもの。」
それが神である。

「何もないもの」が在るからこそ、この世のすべてが存在する。
(現代宇宙物理学はそれを「ブラックマター」と称している。)
だから
「何もないもの」であるわたしがこの世のすべてを在らしめている。
この世のすべてに浸透して
すべてを一つにしているのがわたしなのです。
だから、
わたしには敵も味方もないのです。
すべてがわたしだから。

一方、
この世は張り子の虎のようなものである。
われわれは張り子の虎の表面の皮だけ(=有限なるもの)を見てそれが在るものと思っている。
それは違う。
(最先端の量子力学でもそれが証明されている。この世の物質を徹底して分割していくと最後には中空になる、と。)
張り子の虎の中身、
すなわち、
中空(=ぽっかり穴)だけが実在するものである。


9,あなたが苦しんでいる根本的な原因がこれ。
すなわち、有限の世界 に住んでそれが事実だと思い込んでいるから。


あなた自身が有限なる存在=個人であると思っているが故に苦しむ。
苦しみの根源的な原因がこれに尽きます。

あなたの正体は有限なるものではない。
無限なるものである。


それを神という。
(わたしはそれを「超宇宙的存在」と言っている。)
それに気づいた瞬間に
苦しみが消えて、至福になる。

苦しみが消えて、
至福になっていることが
あなたが本物=神=超宇宙的存在になっている証拠でもある。
そして、
その至福は決して揺るぐことなく、消えることもない。


10,そして、この世のすべては無限なるわたしの中にある。

全宇宙がわたしの中にある。



そして、
全宇宙は幻と消え去る。


消えないで無限に存在しているのはただわたしだけ。


それを神という。
この宇宙を超えた存在だから超宇宙的存在である。

ただわたしだけが在る。
わたし以外はなにものも存在しない。
それが「一の世界」。

お釈迦様は
天上天下唯我独尊。
と言ったが
わたしは
天上天下唯我独在。
と言う。


11普通の人間は「二の世界」に住んでいる。

「二の世界」とは、
わたしとあなたがいる世界。
これが苦しみの世界。個人の世界。地獄のこの世。不調和波動の世界。

「一の世界」になると、「二の世界」が消える。
無限なるものに気がつくと、有限なるものは消えるから。

すなわち、
あなたが無限なる存在=神になると、
この世のすべての問題が一瞬にして消え去る。
地球温暖化も戦争も消える。

まだ、地球温暖化も戦争も目の前にあるじゃないか、あなたはいうだろう。

いや、
わたしの世界(=一の世界)には存在しない。
あなたが「二の世界」にいて、
温暖化や戦争の世界を出現させているだけだ。
だから、
それはわたしの問題ではなく、あなたの問題である。

あなたもわたしの世界に来たらいいよ。
地獄のこの世=二の世界、とおさらばして。
ただわたしだけが存在する世界に。
「一の世界」に。
それは一瞬にして可能だよ。


12,神は肉体感覚ではない。

見る。触れる。聴く。考える。
神とはこれらのすべてを超えたもの。
よく神を見た、とか、神の声を聴いたとか、いうけど、
あれは嘘である。
それは現次元から他次元をキャッチしようとするもの。
これは肉体脳がするもの。
これでは絶対に不可。
なぜなら
神は他次元のものだから現次元の感覚では理解できないから。
むしろ現次元を超えて「感じる」と言ったほうがいいかもしれない。
肉体脳が消えると超宇宙的存在=神が出現する。

だから、
神を知るには
神になってみるしかないのだ。


13,だから実際に神になってみるしかない。

神になってみると、
すべてが何もしないのにうまくいくようになる。

一種独特の何もない感。
絶対無限の至福。
それをわたしは
ニンノと称している。
(それ以外に付ける名前がないから。名前にはすべて先入観があるから新しい言葉をつけないといけないから。)

この世でたとえ何が起こってもわたしには何の影響もない。
何も起こっていないのだから。
この世のすべてが映画のように幻に見える。
映画の中で何が起こってもわたしには関係ない。
なぜなら、この世は存在しないのだから。
戦争だって存在しない。

映画ではいろんな結末になるが、
神の世界では結局のところすべてがうまくいくようになっている。
神であるわたしがそうさせているのだ。
なぜならすべてが消える運命にあるから。
幸福も不幸もすべてが消え去る。
そして、
至福のみが残る。
神であるわたしがそうさせている。
わたし以外のものすべてを消える運命にさせる。

そして、
「絶対無条件の幸せ」になる。
それが至福。
不安、痛み、恐怖などのすべての苦しみが消え去る。
不安、痛み、恐怖、は「二の世界」でのみ起こるもの。
「一の世界」になるとlこれらがことごとく消え去る。
そして、
消え去っていることが
「一の世界」になっている証拠。


14,わたしの治療の根幹は個人でいることで苦しんでいる相手を
神に誘導してあげることです。

下の図は神と個人
人は個人でいて、苦しんで
わたしの所にやってくる。
苦しみは個人から神にならない限り解消できない。




下の図は神に誘導したもの。
神=超宇宙的存在に誘導してあげると、
瞬時に苦しみが消える。




15,神になるためには
一点集中見る見るで、両親に感謝することです。

一点集中見る見るすることで「一の世界」に誘導されます。
一点とは「二の世界」から「一の世界」への入口です。

それに対して、
生きている殆どの両親は「二の世界」にいる人です。
すなわち、
現実の両親は
個人として生きていて、苦しみ、恨みつらみ、不平、不満の中で生きています。
われわれは両親というと、つい個人的な両親を思い浮かべてしまう。
これが問題。
ところが、
一点集中見る見るで両親を見ると、
現実の両親が消えて、
両親が合体して一つになって見えます。
これが神です。
(わたしは「ぽっかり穴」と称しています。)
他次元のものです。

すなわち、
二なるもの=両親から、
わたしが、すなわち、一なるもの=神、が生まれたのです。

だから、
わたしの正体は一なるもの=神なのです。
ところが、
神として生まれたはずのわたしは
この世に汚されてしまい個人=二の世界に染まっていくのです。
すなわち、
いつのまにか
個人にさせられてしまっています。

個人になって汚れてしまったわたしは苦しみます。
ところが、
苦しみが今のあなたは本当のあなたではないよ、と教えてくれます。

そして、
一点集中見る見る見るで、両親に感謝することで、
両親が一つになって
わたしを神に誘導するのです。

すなわち、
両親こそが魂なのです。
だから、
決して両親への感謝を忘れないで、
いつでも、どこでも、
両親が心の中にいてもらうことです。


                             令和5年3月6日改編








第一章:病気を治すとは。

わたしは医者になって以来、
病気がなぜ起こるかを追求してきました。
そして、
病気の治癒とは何なのか。
完全に病気を消すとは何か。

心も体も病気の根本的な原因があるはずです。
これさえ解決すればすべての病気が解消できるというような。

しかしながら、
現代医学の追求ではその疑問に答えが得られない、
ということに気がつき、
(現代医学はモグラたたきのようなことをやっているだけでモグラを退治できていない。)
それからは、独力で、それを追究してきました。

一方では、
人間一人がこの社会全体と、
あるいは、
この宇宙全体と共に調和でいることが、
人間の心や体の根本的な治癒をもたらし、
さらには、
それが人類全体の幸せにもつながる、
そのような究極のものがあるのではないか、
という直観もどこかにありました。

すなわち、
心や体の病気の治癒と、
人類全体が幸せになること、
が一つになることが究極の医学ではないかと直観的に思っていたのです。

それをこの30年以上の間、ずっと一人で追い求めてきました。

誰の助けも借りずに。
誰の助言にも頼らないで。

このことが最も重要なことだったと今になっては思います。
自分を先導する誰かについていくと、決して真実は得られないからです。
偽物は得られても。
それがたとえキリストであっても釈迦であってもです。
宗教の根本問題がここにあります。

究極的な回答は自分の中にしかないのですから、
それを自分自身で見つけるしかないのです。

えてして人の直観は正しいものです。
この30年以上の間の追求の結果、その直観が正しかったことに気づきました。

「求めよ、さらば与えられる」のです。
逆に言うと、
求めないから与えられないのです。
だから、
あなたも求めたらいいのです。
たった一人で。
自分の中を。
そしたら、
必ず真実が見つかりますから。
すると、
あなたの人生のすべての問題が一瞬にして解消するはずです。


第二章:究極の治癒は「無限なるもの」になること。

この30年以上の間の追求の結論を言いますと、
すべての病気の根本的な治癒のため、
それと同時に、
人類全体にも幸せをもたらすためには、

「人間は現次元を超えて他次元のもの(=無限なるもの)にならないといけない。
すなわち有限の世界から無限の世界に移行しないといけない。」


ということに気がつきました。
それを「無限人(むげんびと)」と呼ぶことにしました(令和3年2月8日より)。
そして、
有限の世界(=われわれがこの世と呼んでいるもの)、
から無限の世界への入り口が
「ぽっかり穴」です。
(有限の世界から無限の世界を見ると、ぽっかり穴のように見えます。




ところが、
無限の世界に入ってみると、
「ぽっかり穴」は消えています。
(当たり前のことですが。)

そして、
最近では,
最終的には、
「ぽっかり穴」の中に入って
「ぽっかりびと=無限人」になることである、
ことに気がつきました。
それがわたしの正体であり、それが神なのです。(2018年8月29日記載)
それが最終到達地点なのです。
すなわち、
わたしの正体は
ぽっかりびと=無限人=神だと気づくことなのです。

ところで、
「ぽっかりびと=無限人」の正体は他次元のもの=無限なるものです。
それをこの世の側から見ると、
(外側から見ると)
一見
「何もないように見えるもの=姿形がないもの」です。
(「有限の目」では「無限なるもの」は見ることができないのです。)

だから、
現次元の世界から他次元の世界を見ると、
「何もないもの」に見えるのです。
例えば、
ブラックホールの中をのぞくと「何もない」ように見えるはずです。
それと同じです。

ところが、
「何もないように見えるもの」だけが、
唯一、在るもの、であり、
それは、
他次元のものだから、
この世を超えているものだから、
有限の世界である現次元のこの世のすべてが幻と消え、
すなわち、
有限の肉体が消え、
有限の病気が消えて、
有限であるが故に混乱を極めているこの世も無限の中に消えてしまうのです。
有限の世界が無限に引き延ばされてしまいます。
すなわち、
無限なるものが
有限のこの世のものすべてを無限にしてしまうからです。

それを「消える」と称しているのです。
すなわち、それは、
現次元から他次元に移行することです。
すなわち、
「有限なるもの」が「無限なるもの」に引き延ばされることなのです。

それがあの世です。
すなわち、
あの世は誰でも行けるものなのです。
今、ここで。

ところで、
現次元での「消える」とは、
例えば、
ここにコップがある。
それを取り去ると「消える」。
それとは完全に異なります。
それは消えているように見えても、位置が移動して視界から消えただけです。
実際に消えているわけではありません。
われわれっは常識的には「消える」というのを
このように理解しています。

事実はそうではありません。

このコップを「見る見る」することで、
あなたの目が「無限なるもの」になることで、
このコップもまた無限なるものになります。
すなわち、
「見る見る」が見たものすべてを「無限なるもの」に引き延ばしてしまうのです。
すると、
ここの場所にここに限定して存在しているコップが無限なるものになり、
あたかも幻のように見えます。
すなわち、
このコップが無限に引き延ばされて超宇宙的存在になるから。

それが事実なのです。
あるようで、ないようで、ある感じ。
それを「消える」と称しています。
コップは一見そこに限定してあるように見えるけど、実は、ない、のです。
でも、
コップは「無限にある」のです。
すべてが一つになって。

この世の個々のすべてのものもまた、あるように見えるけど、実は、ない、のです。
実は、
「無限に在る」のです。
それが神の正体なのです。

逆の方から見ると、
「何もないもの」は
「ただ何もないもの」ではなく
「姿形(=有限なるもの)はないけど唯一在るもの」で「無限なるもの」なのです。
「無限なるもの」だけが唯一在るのです。
それが神なのです。

「無限なるもの」に姿形はありません。
超宇宙的存在だから。
他次元のものだから。

だから、
有限の目でいることが当たり前になっているわたしたちには
それを捉えるのが極めて難しいのです。
常に
なんでも
姿形があるものとして見ようとするから。
姿形があるものを在ると思っているから。
姿形があるものだけを追求している人生になっているから。
それが苦しむ原因になっているのに。


「無限なるもの」は、
「見る見る」することで心と直感でキャッチするしかないなのです。

そして、
それこそがあなたの正体だ、
というのです。

逆に、
わたしが今、
肉体として、
個人として、
在ると思っているのは
すべてが幻想なのです。

わたしの正体は姿形がないもの=すなわち「無限なるもの」なのです。

それも、
そんな理屈を仕入れるのではなく、
(そんな理屈を仕入れることもまた気づきへの第一歩になりますが。)
あなたが実際に「それ」になってみて初めてわかるものです。

あっ、やっぱりそうだ、と。

それを神と言っているのです。

神とは白い衣を着て杖をついた髭のおじいさんのことを言うのではないのです。
(それは姿形があるものだから。)




第三章:無限なるものになるための「見る見る」


ところで、
ひるがえって、
個人の目=現次元の目=有限の目から見ると、
この世は一見存在しているように見えます。

ほとんどの人は「この世が在るじゃないか」と
この世が存在するのに疑問さえ浮かびません。
(これがすべての苦しみの原因です。)

例えば、
手で触れてみると、
ここのコップが触れてわかるように。
「ここにコップがあるじゃないか」と言います。

でも、それもまた幻想なのです。
あなたは手で触れたからあると思っているだけなのです。
たとえば、
目を閉じてみてください。
コップはどこにも見えません。
ただ、
あなたがさっきまであったのだから在るだろう、
と思い込んでいるだけです。

あるいは、
コップがある証拠は
あなたが手で触れている、
というだけなのです。
もし、
あなたの手の感触が幻想だとすると、
どうですか。
(手の感触もまた実は幻想なのです。
これは現代量子力学でも証明されています。)

だから、
手もコップも、
ただ在るように「見えているだけ」なのです。
あるいは、
あなたが、ただ在ると「思っているだけ」なのです。

よく見ると、それが事実だとわかります。

それでは「在る」とは何でしょう。
「在る」とは見て、触って、在ると感じてあるものではないのです。

見て、触って、在ると思うものは、
見る、触る、思う、に依存しています。

ところが、
本当にあるものは
何ものにも依存していません。
見てないのに、触ってもいないのに、思ってもいないのに、
「在るもの」が
本当に「在る」ものです。

それが絶対的存在であり、神なのです。

誰が見てなくても、触ってなくても、思っていなくても、
存在するものが「在るもの」なのです。
それが神なのです。
その存在に気づくのが「見る見る」です。

「よく見る」が「見る見る」です。

一方、
われわれは普通は「ただ見て」います。
それは、
先入観を持って「見て」いるのです。
思考から「見て」います。
この世が在るものと思って「見て」います。

それが
偽物のこの世を存在させているのです。
すなわち、
地獄のこの世を、苦しみのこの世を、すなわち不調和波動のこの世を出現させているのです。

なぜこの世が地獄なのか、
というと、
この世は偽物の世界=有限の世界だから、です。
有限の世界であるがゆえに苦しいのです。
人間がただ生きているだけで苦しいというのはそこにあるのです。

そして、
あなたが「無限なるもの」になるとその苦しみが一瞬にして消えます。
それが「見る見る」です。

「見る見る」
はわれわれの先入観が消え去って、
空っぽ=ぽっかりの心で見ることです。

「見る見る」をしてよく見ると、
見ている目が、
現次元から他次元=無限なるもの、
に移行することで、
有限のこの世が存在しないことに気がつくと、
その裏側にある他次元の世界=無限の世界=本当の存在に気づくことができます。
それが、
神であり、
悟りと言われるものです。




それが本当にそうなのか、
ここに書いてあることを信じることではなく、
あなたの目で「見る見る」して
実際に「ぽっかり人=無限人」になってみることで自分で確かめることです。

わたしはわたし自身の目で確かめてこのような結論に達しました。
この世は存在しない、と。
この有限の世界はすべてが幻にすぎない、と。
唯一絶対的に在るものだけが在る、と。
それがわたしの正体である、と。

この世をただ幻だと見るだけではなく、
(幻だと見るのは半分は正解です。
幻だと見ることでその先にある「無限なる存在」に気がついたら百点です。)
本当の世界=「姿形がなくて在るもの」=無限なる世界に気づくことです。

☆われわれは幻想に翻弄されているだけ。
すなわち、
われわれは通常、幻でしかない現実にうろたえて右往左往させられているだけなのです。
(それはわれわれが個人をしているからです。)
運命に翻弄されているというのはこのことです。
だから、
「見る見る」することで、
運命に翻弄されている個人から抜け出ることができるというのです。

すなわち、
個人の目は幻想の目なのです。
なぜなら、
個人の目は有限であり、
いずれにしても消え去るものでしかないから。
キリストが「あなたの目から梁を取り除きなさい。」
と言っているのはこのことです。

ところで、
われわれは常識的に、
自分はいつかは死ぬ、と思っています。
しかしながら、
死ぬのは「本当のわたし」ではないのです。
「個人のわたし=肉体のわたし=有限のわたし」だけが死ぬのです。

それに対して、
「本当のわたし」は「無限なるもの」です。
そして、
「無限なるもの」だけが実在するものです。
「無限なるもの」には死はありません。
(キリストが復活した、というのはこのことです。)
だから、
あなたが「本物のあなた」になった証拠は
あなたから死の恐怖が消えていることです。
(死の恐怖は個人にだけあるものだから。)

無限の目=ぽっかりの目、
で見ると、
(それが
「見る見る」です。)
有限である現次元のこの世は
「姿形はあるように見えるけど実在しない」ことに気がつきます。

それに気がつくと、
この世でたとえ何が起こっても一切動揺することがなくなります。
たとえ天が裂けても。
(もし、まだ動揺させられているとすればあなたの気づきは本物ではない証拠です。)

「本当のわたし」は死をも超えています。
これが「永遠の命」です。
それがあなたの正体なのです。

そう考えるのではなく、それになってみることです。


第四章:カルマからの脱出

そして、
この世で起こっていることに一切動揺させられていないことが、
あなたが本当に「無限人=無限なるもの」になれている証拠です。

この世のものは何も存在しない、
ことに気づいているのですから。
それが
運命(=カルマ)からの脱出です。




そして、
「無限なるもの」になると、
この世のすべてが一つになって、
プラスマイナスゼロになり、
調和の世界になります。
幸も不幸もないプラスマイナスゼロ。
貧も富もないプラスマイナスゼロ。
長も短もないプラスマイナスゼロ。
例えば、
金持ちになったと喜ぶのも、幻想であり、
貧乏になったと嘆くのも、幻想なのです。

ぽっかり=無限人、
になると、
この世の条件に一切影響されることなく、幸せになります。
それが
絶対不動の幸せです。

そして、
無限の世界は至福が充満している世界です。
ただ絶対不動の至福だけがある世界です。
(それも、あなた自身がそれになってみてはじめてわかることです。)

それに対して、
この世での幸せは条件付きの幸せです。
例えば、
仕事がうまくいったから幸せ。
でも仕事がうまくいかなかったら不幸になります。
結婚したから幸せ。
でも、離婚したら不幸。
金持ちになったから幸せ。
でも、貧乏になったから不幸。

すなわち、
この世で得たすべての幸せが有限だからいつかは消えてなくなるものです。
あるいは、
この世で得られる幸せの裏側には必ず不幸が付いています。
そんな幻想なるものを追いかけているから追いかければ追いかけるほど苦しむのです。




そんなものを追い求めるのではなく、
「無限なるもの」に気づくことで、
絶対不動の幸せになることです。

それに気がつくと、
究極の、絶対不動の、安定、安心、になります。
それが実在の天国です。
すなわち、
天国が、今、ここに、在る、
というのです。




天国はどこか遠い所にあるのではありません。
いつでも、どこでも、
あなたの目の前にあるのに、
あなたがそれに気づいてないだけです。
「見る見る」すると、
それに気づくことができます。


☆わたしは追求した結果、
無限なるもの=「姿形がなくただ在るもの」こそが「本当のわたし」であると気づきました。

だから、
「本当のわたし=無限なるもの」になれば、
有限なるこの世界はすべてが消えてしまいます。
消えるというより、
有限のこの世には存在が無いことに気がつきます。

それは張り子の虎と似ています。
張り子の虎には内実はありません。
虎が張り子であることに気づけば目の前にいる虎を恐れることはありません。
この世のものすべてがそうです。
われわれは張り子の虎にうろたえさせられているだけなのです。
この世のすべてが張り子の虎だと気づくと、
あなたは「無限なるもの」になっています。

さらに、
それはちょうど、
紙の表を見ると、裏が見えなくなり、
裏を見ると、表が見えなくなるのと同じです。

われわれはこの世を見て、
紙の表だけを見ているように、
この世があるもの、
と信じて疑わないから、
真実の世界=他次元の世界=紙の裏、
を見ることができていないのです。

ところが、
紙の裏面がないと紙そのものが存在しません。

真実の世界=他次元の世界に気づくと、
この世が幻想であることに気がつきます。
すると、
この世の出来事に一切翻弄されることがありません。

それだけでなく、
わたしは何もしないのに、
ただわたし=無限なる存在、でいるだけで、
この世のすべてがうまくいくようになります。

なぜなら、
ただわたしだげが存在して、
そのわたしがこの世のすべてを一つにして調和にしているからです。
そこは敵も味方もない世界です。
わたしがこの世全体を調和にしているのです。
(それが神です。
何か自分以外に神様がいて、何かをしてくれる、
のではないのです。
あなた自身が神で、それ以外に神はいない、というのです。)

逆に、
四六時中、何かをしているのは個人であり、
個人が出現すると(個人は悪魔だから)この世全体が不調和波動にまみれて、
しっちゃかめっちゃかになってしまいます。
この世をよくしようとする個人の行為のすべてがこの世を毒しているのです。
(あなたもそのように行動している人達のことをなんか変だ、と思っているはずです。)
それが現実にあなたの目の前で起こっていることです。
個人のあなたが行動すればするほどこの世がしっちゃかめっちゃか、になっているはずです。


第五章:瞑想の真髄

一方、
何もしない、
ということは
個人が消えて、
無限なるもの=神になることです。

だから、
一切何もしないでいると、
個人のあなたが消えることで、
無限なる存在になり、
すなわち、あなたは神になり、
すべてがうまくいく、というのです。
それが
瞑想の真髄です。

それもあなたが実際にそれになってみることで確かめてみる以外にないのです。

そして、
「無限なるもの」になると、
この世はまるで映画の映像のようです。
目には見えているけど存在しないような感じ。

有限×無限=無限、だから。

「無限なるもの」に気がつくと、
心の病も、体の病も無限の中に消え、
われわれが現実にあると思っているこの世も幻と消え、
そして、
わたしの存在自体(=無限なるもの)が、
有限なるこの世界や宇宙全体を無限にすることで、
この世のすべてに調和をもたらす、
というのです。

そして、
この世のすべてを調和にできるのは
唯一
あなたという「無限なる存在」だけなのです。
だから、
唯一、
あなただけが神なのです。




すなわち、
人間は、
現次元の存在、
すなわち有限なる存在=個人から、
他次元の存在、
すなわち神(=姿形がなくて在るもの=無限なるもの)にならないといけない、
というのです。

あなたのやるべきことは唯一それだけではないでしょうか。

そう思いなさい、
と言っているのではないのです。
それが事実だと、
あなた自身の目で見て確かめて、事実に気づくことなのです。

突然、とんでもない話をし始めた、
と驚く人もいるでしょうが、
ここは冷静になって聞いてください。

よく読んでいくと、次第にそれが事実だと理解できてくるはずです。

そして、
あなたも
「ぽっかりびと=無限なる存在=神」になれるのです。
いや、
なれるというよりも、
あなたの正体がもともとそれだった、
と気づくのです。

あなたは自分が個人だと勘違いしているだけなのです。
あなたは赤ちゃんの時は神だったのです。
神として生まれてきたのです。
いや、
生まれる前からずっと神だったのです。
ところが、
物心付いたころから。
あなたは個人である、
と、周りから徹底的に教え込まれてきたのです。
何月何日に生まれた個人である、と。
そうして、
次第にそれを信じ込むようになってしまったのです。
それは、
悪魔に騙されているのです。
それが、
すべての混乱の、この世が地獄になっている原因なのです。

あなたが苦しんでいるのは、
あなたが自分の正体に気づいていないから、
自分の正体に気づかないで、
自分が個人だと思い込んでいるから、
思い込まされてきたから、
苦しんでいるのです。

この世が苦しみの世界にあるのも、
すべて、そんなあなたのせい以外にないのです。
一刻も早く目覚めて
自分が神であることに気づくことです。


第六章:他次元世界はれっきとした科学である。

他次元世界は宗教などではけっしてなく、
現代宇宙物理学でも指摘されている最先端の科学の問題なのです。

例えば、
「それは科学的ではない」と非難する人間がいますが、
科学を真剣に追及していない人に限ってそう言います。
真剣に科学を追求している人ならそんな非難はしません。
というのも、
本物の科学者なら現代科学の限界をよく知っていて、
そこを突破しないといけないということに気づいていますし、
現代科学の限界を突破するには、
われわれが当たり前と思っている常識を突破しないといけないことにも気づいているからです。

そんなわたしも、
40代までは現代医学を徹底的に追及した結果、
その限界に気がつき、
それを突破するべく、
他次元世界を追求するに至ったのです。

例えば、
ごく3,40年前には、
他次元的存在である「ブラックホール」も
空想の与太話としか一般的には受け取られていませんでしたが、
今では、その存在が、誰でも当たり前と思うようになっています。
ところが、
100年前にはすでにかのアインシュタインはその存在を暗示していたのです。

しかしながら、
多くの人は、
当たり前と思う根拠は各自の中では何もないにも関わらず、
専門家が当たり前と言っているのをただ鵜呑みしているだけなのです。
それこそが科学的ではない姿勢で、
それこそ宗教でしかありません。

あなたが、
自分自身でそれが事実であることを発見することなのです。

ところが、多くの人は、
そんなことは科学者ではない自分にできるはずがない、
と思っていることでしょう。
しかしながら、
真理は、
人間でありさえすれば誰にでも理解できる単純明快なものです。
われわれは科学者の小難しい理屈に騙されているだけなのです。
それが本物の真理だったら
小学生でも、たとえ幼稚園生でも、理解できるものです。
いや。
雑念がまだない幼稚園生のほうが理解できるのです。

追加:最近になってブラックホールを科学的に撮影した、という報告が現れました。
下の写真が実際に撮影された像です。



ブラックホールは「ぽっかり穴」と同じものです。
だから、
人類は宗教ではなく、科学的に神を撮影することができた、
と言ってもいいのかもしれまんせん。
これが今後の人類の意識に根源的な変化をもたらすでしょう。
今のところ、
ブラックホールは自分とは関係のないはるか宇宙の彼方に存在するものだと思われていますが、
そうではなく、
わたし達の最中心にあるもの、
わたし自身であるもの、
だというのです。
しかしながら、
それはあくまでわたしの主張にすぎませんが、
それはわたしが見た事実ですから、
いつかは科学的に証明される日が来ることでしょう。
その時が人類全体が解放される時なのかもしれません。

さらに、例えば、
重力の根本的原因を他次元に求めないと重力の根本問題が解決できないことが
最先端の物理学では指摘されています(例:リサ・ランドール教授、ハーバード大学素粒子物理学教授、著書「ワープする宇宙」)。
そしてさらに、
最先端の量子力学では多次元世界が当たり前のように言われています。

すなわち、
現代科学の限界を突破するには他次元に繋がらざるを得ない、のです。

医学もまたしかり、です。
たとえば、
現代医学は治療と称して薬物投与、を行いますが、
それは表面的な対症療法的な治療であり、
先にも言いましたように、モグラたたきのような治療です。
根本的には治らないから、
(モグラを退治できないから)
たくさんの薬物をいつまでも延々と投与しても、
根本的な治癒にはちっとも至らない、
という問題があります。
特に、
心の病では過剰な薬物投与が社会的な問題にさえなっています。
それは誰でも「おかしい」と直観的に感じているはずです。
心の病は心でしか治せないのに。

すなわち、
医学も、
病気を根本的に治癒せしめるためには
他次元へとつながらないといけないのです。


第七章:他次元世界とは何か。

この世が現次元だとすると、
紙には裏面が必ずあるように他次元世界が裏側に張り付いている、
というのです。
この両者が表裏で合わさってつながった状態こそが完全な紙であり、
完全な世界だというのです。
いや、むしろ、
裏側の世界=他次元こそが真実の世界だというのです。

われわれは真実の世界を見ずに、
現次元=この世だけを見ているから、
すなわち、紙の表面だけ見て、
それが事実だと、勘違いしているから、
他次元=裏側=真実の世界に気づけないでいるのです。
これが不調和波動の世界、すなわち、毒世界を出現させているのです。
それが、
すべての人が苦しんでいる原因なのです。

逆に、
他次元に気づくと、
表(おもて)面=現次元=この世が幻と消えます。
それをあなたが実際に実感してみるしかないのです。

われわれは普通は他次元世界に気づかないで生きています。
(この世を当たり前だと思って)
例えばそれは、
空気があってこそ、われわれは生きることができているようなものです。
他次元世界もそうです。
他次元世界があるからこそ、
現次元のこの世は存在できるのです。
紙に裏側あるから表があるように、
他次元世界に裏打ちされているからこそこの世が成り立っているのです。
それでこそ、
この世が完璧なものになるのです。
それでこそ、
あなたが完全に腑に落ちるのです。




われわれが当然と思っている現次元だけの世界(すなわち表側だけの世界=われわれが「この世」と言っているもの)は、
裏面のない紙のようなもので、
そんな紙などあるはずがなく、
それは空想の世界でしかなく、
そのような事実に基づいていない誤解が、
そして、
それを当たり前と思っていることが、
すべての
苦しみ=不調和=毒ガス(不調和波動)=地獄
の世界を出現させているというのです。

そして、
それが心や体の病気の根本的原因だというのです。

そして、
死ぬ、
ということは現次元から他次元に移ることなのです。
それはごくごく自然のことなのです。
人は皆がそうでなければいけないのです。
すなわち、
人は人生最後の日に死ぬのではなく、
毎日死ぬことが必要なのです。
それが、他次元に抜けることなのです。
それをわたしは「生きながら死ぬ」と言っています。
そして、
紙の表には必ず裏側があるように、
生には必ず死がついているのです。
それを当然のこととして受け入れることです。
それが事実なのですから。
ところが、
多くの人間はこの世にしがみつくことで死を忌み嫌い、拒否します。
でも、
拒否すればするほど苦しみます。
なぜなら、
それは真実なものではないから苦しむのです。

そして、
その苦しみを完全に解消するには
生きながら死ぬことで真実の世界になるのです。

そして、
人間はだれでも
「生きながら死ぬ」ことができる、というのです。

それが、
他次元の存在に気づくこと、
いわゆる、
「悟り」なのです。

だから、
苦しみの世界にいることは、
われわれの本来の姿ではないのです。
でも、
苦しみはあなたに、
「あなたのいる今の世界が真実の世界ではないよ。」
と教えてくれているのです。
苦しみを通して、
われわれは真実の世界に導かれるのです。
だから、
苦しみを薬でごまかしてはいけないのです。



第八章:苦しみがあなたを他次元世界へと導く。


すなわち、
われわれが当たり前と思っているこの世は
毒ガス世界(=不調和波動の世界=不条理の世界)なのです。
われわれが生きていることが苦しい、
と感じている理由は
表面的には、お金がないとか、仕事がうまくいかないとか、病気になったから、人間関係
とか、色々あるでしょうが、
根本的な原因はここにある、
というのです。
(裏のない紙の上に住んでいると思っていることの苦しさ。あるいは、空気のない世界に住んでいる苦しさ。)
それに気づけないと、
たとえ、お金が儲かっても、仕事がうまくいっても、病気が治っても、
相変わらず苦しみは続くのです。
これが厳然とした事実であるはずです。



そして、
われわれはこの毒世界を当たり前と思い、
この毒世界に順応してしまっているのです。
あるいは、
必死にこの毒世界に順応しようとするのが人生だ、
と思っているのです。
そして、
毒世界の中で成功しようと必死にもがいています。
ところが、
それこそが苦しみの原因なのです。

ところが、
地獄の中では、
上に行っても、下に行っても、右に行っても、左に行っても、地獄なのです。
頑張れば頑張るほど余計に地獄にはまって苦しくなるのです。
だから、
たとえ、この世で成功したとしても、
成功すればするほど、苦しみは一層深くなるばかり、です。
(億万長者になった人たちの顔を見てください。決して幸せそうには見えないはずです。)

そしてさらに、
その苦しみは自分だけでなく(自分だけで終わればまだいいのですが)、
子々孫々にまで伝わって子々孫々をも苦しませるのです。
それを
カルマと言います。
そして、
子々孫々に伝わっていくものを
苦しみの芯=苦玉と称しています。

すなわち、
あなたの苦しみはあなた自身で根本的に解消しなければ、
あなたで終わるのではなく、
(そうであればまだ楽です。)
子々孫々に伝わていき、
子々孫々を苦しませるのです。

逆に言うと、
あなたの現在の苦しみは、
あなたの親の、さらに、そのまた親の苦しみが延々と伝わって降りてきたものなのです。
あなたはそれを直感で確かに事実だと感じているはずです。




だから、
あなたが本当の意味で苦しみから解放されることは
あなたの子々孫々が苦しみから解放されることにもなるのです。
それがあなたが今生でやらなければいけないことではないでしょうか。
唯一やらなけばいけないことがそれなのではないでしょうか。


そうして、
このいびつな存在(=不調和波動の世界)は
消えることで、
すなわち、
死ぬことで本物の存在になるのです。

それが
「生きながら死ぬ」ことなのです。

人が自殺するのは
根本的には
この毒世界から逃れるためなのです。
そして、人は、
自殺することでみな天国に行っているのです。
(自殺したら地獄に行く、
などと言われているのはすべて嘘です。)

ただし、
自殺しなくてもこの毒世界から抜け出ることができるというのです。
それが
「生きながら死ぬ」ことであり、
すなわち、
それが、
ぽっかり穴の中に入ってぽっかり人=無限人=神、になることなのです。
だから、
ぽっかり人には死がありません。
それは無限なる存在だから。
それがあなたの正体なのです。
それが神なのです。
すなわち、
あなたが神になればいいのです。
というか、
あなたの正体が神であることに気づけばいいのです。


第九章:不調和波動とは

それはちょうど「風の谷のナウシカ」に出てくる腐海のようなものです。
この世全体をスモッグのように覆っているもので、
スモッグは空や体の表面だけを覆っているのですが、
不調和波動は心の芯まで毒されてしまいます。
いや、この世の全体が毒ガス世界なのです。

そして、毒ガスに心が支配された状態が、
思考にはまっている」状態です。
それが個人としての存在であり、
それが地獄の主人公です。
すなわち、悪魔は個人以外にないのです。

それは本来、神であるべきあなたが不調和波動に支配されてしまい、
悪魔=個人になってしまっているのです。
あなたが、
悪魔=個人になっているから、
あなたのせいで、この世のすべてを地獄にしてしまっているのです。
その責任は
唯一それに気づいていないあなたにあるのです。

個人のあなたこそが、
この世のすべての混乱の原因であり、
この世が苦しみの世界になっている原因です。
この世が地獄になっているのはこの不調和波動のせいなのです。
そして、
それを出現させているのが
「個人のあなた」なのです。

すべての心の病がこの不調和波動が原因なのです。
心の病を完全に治すには
不調和波動の世界から抜け出すこと以外にないのです。
肉体の病気もまた
この不調和波動のせいなのです。

すなわち、
われわれが、
肉体や心が
苦しいと感じるのは
自分が異常な世界に住んでいるという警告のようなものなのです。
ちょうど、
ウルトラマンの胸の赤信号と同じです。

しかしながら、
そんな警報が鳴っているのにもかかわらず、
われわれが、
当然のように、
この不調和波動の世界(=毒世界)を当たり前のように受け入れて住んでいて、
この世界に順応しようと、
あるいは、
この世界で成功しようと
必死に努力していることがすべての苦しみの原因です。

そして、
そんな行動が知らず知らずの間に、
自分だけでなく、
自分の子や孫をも苦しませているのです。
「ただわたしは一生懸命に頑張っているだけなのに。」
心を病んでいる子供の親のすべてがそう言いいます。
だから、
ただ一生懸命に頑張ればいいのではないのです。

そこには
気づきが必要です。
そんな地獄の中で必死になって生きている自分が
おかしいと気づくことです。
人間の心の底にはぽっかり=魂
がありますから、
それから来る気づきが、
今の自分がおかしい、
と気づくことができます。




その気づきは誰にでもあります。
自分の内なる心(ぽっかり=神)が、
「今のあなたはおかしいよ。」
と言っているのです。

ところが、
思考にはまると=悪魔に支配されると、
そんな自分の内なる心の声に耳を傾けることができません。

黙ることで、
内なる心の声に耳を傾けることが瞑想の真髄なのです。

ところで、
多くの親は
子供が心を病んでいるのは
そんな
自分のせいなのに、
学校や友人や職場のせいにします。
(それが
悪魔の心です。)
それでは絶対に子供の心の病は治りません。
そんなことをしているから
子供の心の病がちっとも治らなくて、
ついには一生ものになってしまうのです。
子供のすべての心の病の治癒は
親が
「子供がこうなったのはすべて自分のせいである。」
と気づくことから始まります。
それ以外に治癒する道はありません。

あるいは、
例えば、
引きこもりの人たちは毒世界のこの世に気づいていて
(それもまた親から不調和波動をもらって引きこもっているのです。)
この不調和波動の毒世界を拒否しているのです。
われわれ普通とされる人間はこの毒世界に無理やり順応しているだけです。
むしろ、彼らのほうが正しいのです。
だから、
彼らをこの毒世界の中に無理矢理引きずり出そうとしても意味のないことです。
余計に彼らを苦しませるだけで、
誰も幸せにはならず、何の解決にもなりません。

☆ところで、
われわれがこの毒世界の不調和波動に心が支配されていることが
「思考にはまっている」という状態です。

われわれは当たり前に「自分で考えている」と思っています。
しかしながら、それは違います。
この世に蔓延している不調和波動に支配されて、
考えさせられているのです。
すべての考えがそうです。
プラス思考なんて存在しないのです。
思考はすべてが悪魔ですから。

ちょうど、
ラジオは自分で鳴っていると思っているかも知れませんが、
ラジオは電波によって鳴らされているのです。
それと同じです。

☆「いい考え」も「悪い考え」もありません。すべての「考え」が毒なのです。


すなわち、
思考している、
ということは、この不調和波動の世界に心が支配されているのです。
電波によってラジオが鳴らされているように、
不調和波動によってわれわれは考えさせられているのです。
それが
思考の真相なのです。
そして、
「思考にはまっている」ということは、
紙の表側に裏側が張りつているように、
現次元の裏側に他次元の真実の世界=
調和の世界=本当の自分、
があることに気が付いていない状態なのです。
あるいは、
息を吸うことを知らないで、吐き続けているようなものです。

それが終わりのない苦しみの世界を産み出していて、
しかも、
そのことに自分自身が気づいてさえいないのです。

親が自分自身の異常に気づいていないから、
自分が親から受け継いだ
不調和波動を子供に流して、
子供をも苦しませているのです。
子供の心の病のすべてがそうです。
(逆に、親が苦しめば、不調和波動は子供に行きません。
だから、
親が苦しむことです。)

よく、
考えがぐるぐる回って止まらずに苦しい、と言います。
それがそうです。
ところが、
彼は自分の今の状態が苦しいことに気づいているだけまだましなのです。
多くの親はそうして発生させた苦しみを
自分の子供に流して、自分は楽になっていて、それにさえ気づきません。
(それを「
親の心配のろいかけ」と称しています。)
それこそが、
すべての心の病の根本な原因なのです。

あるいは、
おしゃべりを延々としている人を見ると、
苦しくなることがよくあるはずです。
それはその人が思考にはまっておしゃべりをして
不調和波動をまわりにまき散らして
自分は楽になっているから
見ていて苦しくなるのです。
よく誰か誰かに相談されたら苦しくなった、
という人がいますが、
それは相談した人の不調和波動をもらっているから苦しくなるのです。

普通の人間は、
不調和波動をもらわないように
そんな人から離れていきます。
ところが、
カルマ親子関係にある子供はそんな親から離れることができません。
地球の裏側に逃げても親の心はついてきます。
それが精神を病む根本的な原因なのです。

その原因は、
人間が、
思考にはまって、
この世の価値観(物欲、名誉欲、出世欲、などのすべての欲)に頭が占められているのです。
そのため、
不調和波動という毒を吐いて、
人に毒(不調和波動)をばらまいて人を苦しませて自分は楽になっているのです。

家庭内で諍いがやまない家族はみんなが思考にはまっているのです。
「思考にはまる」ことは愛がないことです。

すべての
いじめの真相もまたここにあります。
いじめは親からもらった不調和波動を学校で、
自分より弱い誰かをいじめて
不調和波動を彼に与えて、
自分は楽になっていることです。
そうして、社会でいじめの連鎖が起こっています。
学校で誰かをいじめている子供は家で必ず親にいじめられています。
(オリンピック開会式で問題になっているいじめをした、という音楽家は
家で親に虐められて不調和波動をもらい。
それを学校で自分より弱い人間をいじめて不調和波動を晴らしているのです。
彼もまたある意味で被害者なのです。)

よく、
自信を持って生きることが推奨されていますが、
それは「毒を吐いていることに自信を持て」と言っているようなものです。
それっておかしいでしょう?
逆に、
「わたしはただ生きているだけでみんなに迷惑をかけているんじゃないか」
と思っている人のほうがまだまともな心なのです。


☆いじめは
この世から抜け出て神になろうとする人間を
この世に引きずり降ろそうとする悪魔の行為です。


人間は誰でも中心にぽっかり=神が存在します。
ところが、
普通の人はそれに気づけなくて、
この毒世界=不調和波動の世界に飲み込まれています。

毒世界=不調和波動の世界では
すべての人間が上下関係、優劣関係にいます。
そして、
上の者が下の者を支配します。
不調和波動を上の人から下の人に流すことで、
上の者は助かり、下の者は苦しみます。
精神病院にいる人間はその中でも最下層の人間で、
すべての人の不調和波動をもらって、
それ以上下に流せる人間がいないから
不調和波動が自分に蓄積することで、
精神を病んでいるのです。

その関係が、
学校でも、会社でも、家庭内でも当たり前に行われています。
特に、
親は家庭内で
もっとも上位の位置にあるのが普通です。
でも、
上下関係とは愛がない関係なのです。

ところが、
その毒世界=不調和波動の世界で
愛=神=無限の世界に目覚める人間が現れます
「この世界がおかしい」と気づく人です。
人間は誰でも最中心には「愛=神=無限の心」があるからです。

すなわち、
「愛=神=無限の心」に目覚めると、
毒世界=不調和波動の世界が消えます。

しかしながら、
毒世界=不調和波動に飲み込まれて悪魔に支配されている人間は
そんな目覚めようとする人間を目ざとく発見して、
決して目覚めることがないように、
不調和波動の人間関係に引きずりこもう、とします。
それが
いじめです。
彼、あるいは彼女が決して神に目覚めることがないように。

殆どの人間は
それに負けてしまい、
不調和波動の人間関係に飲み込まれて、
自分をいじめた相手を恨むことで、
恨みつらみの人間関係に引きずりこまれてしまいます。

家庭内暴力がそうです。
親は神になりそうな子供を集中的にいじめることで、
わざと親を恨ませるようにして、
(親は悪魔に支配されて無意識にそうしています。)
神にならないようにしているのです。
親は自らの意図してそうしているのではなく、
悪魔に支配されて無意識にそうしているのです。
「思考にはまる」とはこのことです。

そして、
子供が親を恨むようになったら、
悪魔の使いの役目はまんまと終了ということです。
そうして、
そうされた人間は将来、また、わが子にもそうしてしまいます。
そのようにして、
悪魔のカルマの連鎖が延々と繋がっていきます。
それがこの人間社会です。

ところが、
気づきのある人間は
そんな親子関係から抜け出ることができます。
わたしがそうでした。
今のわたしは、
たとえ、どんなに親にいじめられた過去があっても、
過去をすべて水に流して親に感謝することだ、
と指導しています。
自分をいじめた親に感謝ができると、
あなたは神になっているからです。
すると、
不調和波動の世界から抜け出すことができ、
悪魔に支配されてあなたを虐めた親も救われます。

神になったあなただけが、
この毒世界=不調和波動の世界を消すことができるからです。
だから、
どんなにいじめられてもいじめた相手に感謝することです。
これが本物の修練です。



不調和波動こそが、
すべての苦しみ、
すなわち、
心や体の病気の原因になっている、
あるいは、人間関係の不調和の原因になっている、
すなわち、愛とは逆のものだ、
というのです。

それだけではなく、
この不調和波動が、
この地球全体が混乱に陥っている原因だというのです。
地球の環境破壊も戦争もこれが原因です。
(不調和波動を消すと戦争も消えてしまいます。
実際に、わたしはそれをやって戦争を消すのに成功しています。)

すなわち、
この世界の混乱の原因は
不調和波動の世界に気づいていないで思考にはまって不調和波動に支配されているあなた自身
にある、
というのです。

それに気づいて、
それから抜け出ると、
自分だけではなく、
子々孫々もまた救われるのです。
もちろん、
この地球も、宇宙も救われるのです。

第十章:他次元の世界に抜け出ること

☆他次元の世界
一方、
他次元とは、
地獄のこの世から抜け出してはじめて感じることができる
調和の世界=光の世界です。
それが天国です。
そこは
無条件の幸せの世界です。
それが確かに存在していて、
誰でも、その気になれば、一瞬にして、その状態に抜け出ることができる、
というのです。
(何年も何年も修行してようやく到達できる、というのは嘘です。)

それが「一点集中見る見るで両親に感謝すること」です。
そして、
それこそがすべての病気が治癒する心身の健康の源

だというのです。

そして、
他次元の世界には、
現次元のものは通り抜けることはできないのですが、
(思考では絶対に理解できません。
なぜなら思考はこの現次元に支配されて起こっているものだから。
例えば、
「稲福の言っているのはどういう意味だろう」
と考えることがすでにアウトなのです。
黙って、
すなわち思考が消えることで、
他次元の世界を、感じるしかないのです。
それが「一点集中見る見る」です。)

ところで、
思考とは別次元のものである
「気づき」は他次元に通り抜けることができます。
すなわち、
「気づき」を通して、
誰でも他次元世界へと容易につながることができる、というのです。
「一点集中見る見る」をすると、「気づき」が出てきます。
キリストやお釈迦様など、
多くの人類史上に現れた覚者はそれを発見したのです。
(先にも話したようにキリストや釈迦にも限界があったのもまた事実ですが。)

そして、
他次元世界は、
この宇宙のどこか彼方にある、
というのではなく、
見ようと思いさえすれば、
紙の裏側が表側のどこにでも張り付いているように、
いつでも、どこにでも、
そして、
今、ここに、在るのです。
そしてそれは自分の最中心にあるもの、
だというのです。

それこそが「本当のわたし」だというのです。
それが「一点集中見る見る」をすることで発見できる、というのです。

すなわち、
「本当のあなた」を発見しなさい、ということです。


あなたが「自分は個人である」と思っているのは本当のあなたではないのです。
それはあなたがそう考えているだけなのです。
それこそがあなたが苦しんでいる原因なのです。

そして、
「本当のあなた」を発見するには自分の内側を見ることです。

それが瞑想の神髄です。
それが「一点集中見る見る」です。





第11章:結論・あなたの正体は神である。

あなたの正体は個人ではないのです。
あなたは物心ついたころから、
何年何月何日に生まれた人間である、と教えこまれています。
そうして、
あなたはこの日本に育ち、
日本は地球の上にあり、
地球は太陽系の中にあり、
太陽系は銀河系の中にあり、
銀河系は宇宙の中にある、
と小学生の頃からの頃から教え込まれて、
そのことに何の疑問もなく育ってきました。

それが間違いだというのです。

そして、
個人として存在しているあなたが毒(=不調和波動)を吐いて、この世を地獄にしているのです。
だから、
個人こそが(個人だけが)唯一の悪魔なのです。
悪魔がこの世のどこかにいて、われわれを苦しめる、などと考えている人がいますが、
悪魔は「個人のあなた」以外にいないのです。

なぜなら、
個人は自分以外の存在すべてと対立するからです。
宇宙全体と。
個人はこの世のすべてのものと心が断絶し、敵対しているのです。
(表顔では作り笑顔で相手に調子を合わせていますが。)
そうして、個人が地獄のこの世を出現させているのです。
すなわち、
個人という存在は愛がない状態なのです。
個人でいる限り決して愛にはなれないのです。
(愛とは相手との心の境界線がないことです。)

だから、
個人でいる限り決して幸せにはなれないのです。
あなたが不安がある、
ということはあなたが個人をしている証拠です。
だから、
不安を解消するためには個人から抜け出てぽっかり人=無限人=神になるしかないのです。
逆に、
不安が完全に消えていることがぽっかり人=無限人=神になれている証拠です。

一方、
愛とは
個人が消えることで、
個人と個人の間にある境界線が消えている状態です。
あなたとわたしとの間に境界がなく、すべてが一つの、状態です。
それが「無限の心=神=ぽっかり」なのです。

だから、
個人が消えないと愛にはなれないのです。
(人間が自殺する根本の原因はここにあります。
個人を殺すことで愛になろうとする行為なのです。)

ところで、
わたしは自分が個人であるということにずっと疑問を持っていました。

本当にわたしは個人なのか。
わたしという個人はこの宇宙の中にいる、
と教えられましたが、
「じゃあ、宇宙は何の中にあるの?」
という疑問が当然のように沸いて来ました。




それに対して、
大人たちはこういいます。
「その先は知らない。そんなことは考えるな。」と。

それこそ科学的ではないものの言い方なのです。
それではわたしは決して納得しませんでした。
さらに、
どんな本を読んでもその疑問が腑に落ちることがありませんでした。

そうだとすると、
自分自身でその問題に解答を得るしかないのです。

それが、
「求めよ、さらば与えられる」のです。
そして、
実際に与えられたのです。

それは40歳を過ぎたころでした。
わたしは大学病院に勤めていた頃でした。
10日ほど、毎日38度台の熱が出て、
解熱剤を服用しながら仕事をしていました。
ところが、
手術中に、一層、気分が悪くなって、
手術を誰かに代わってもらい、
病室に倒れこみました。
すると、さらなる高熱が出て、
体全体に震えが止まらなくなって、
とうとう意識を失ってしまいました。
その時、
傍にいた看護師が体温を測定したら43度もあったそうです。
その後、2、3日は意識を失った状態にいました。
その間、
わたしは夢の中で随分とさまよっているような感じでしたが、
ある瞬間に、
頭の中でビール瓶がパーンと破裂するような感じがして目が覚めました。
(あとで考えるとそれは苦玉が破裂した音だったのです。
苦玉が破裂して神になった瞬間だったのです。)
すると、
目の前で女房が心配そうにわたしの顔を覗き込んでいました。
その時、
わたしは世界が変わっていることに気がつきました。
思わず出た言葉が
「あなたもわたし、このテーブルも、壁もわたし、窓から見えるあの山もわたしだよ。」
(女房はとうとう頭がおかしくなった、と思ったそうです。)
でも、
それこそが真実の世界なのでした。
わたしは個人の世界からぽっかりの世界=神の世界=無限の世界になっていたのです。
すべての病気はそのようにして、
自分自身にジャンプする機会を与えてくれる絶好のチャンスでもあるのです。
病気はただ苦しいだけではないのです。

それからは、
わたしの人生はガラリと変わりました。

ところが、
病気が治って、
普通の生活に戻ると、
また個人の世界に戻ってしまうのですが、
あの経験は二度と忘れることができずに、
あの状態、あの世界にもう一度戻ることが
わたしのその後の半生の目標になりました。

そうして今、
ようやく、
自分が「ぽっかり人=神=無限の世界」になることで、
あの状態にに戻ることができたのです。

そして、
宇宙の先にもまた世界が在ることに気が付きました。
いや、
宇宙の先にあるものこそが、
本当の世界であることに気がついたのです。
それが無限の世界であり、わたしの正体なのです。
そして、
それがわたしの中心にもあるものです。

先にも言ったように、
この世は毒世界(=不調和波動の世界)です。
毒世界の中でいくらあがいても、
毒世界は毒世界にしかならないのです。
毒世界からジャンプして無限の世界へと抜け出るしかないのです。
そして、
この毒世界から抜け出るためには、
他次元の世界(=無限の世界)に行くしかないことに気が付きました。
それが
「一点集中見る見るで、両親に感謝すること」です。



その詳細は別の項目に書いてありますので、そこを参照してください。




他次元の世界に抜け出た瞬間に、
毒世界のこの世が消えて、天国になることにも気が付きました。
それが宇宙の先にあるもので、
そして、
それがわたしの中心にもあるもので、
紙の裏側は表側のどこにも付いているように、
今、ここに、在るあることに気がつきました。
それこそが「本当のわたし」であることにも気が付きました。
そして、
それがぽっかり人=無限人=神なのです。

すなわち、
あなたの正体は神なのです。



個人としての人間が
この世を出現させるから、
地獄のこの世が出現する。
地獄の中で
貧乏人や金持ちがいる。
貧乏人でも金持ちでも地獄は地獄。
そして、
地獄の中で、
殺す人がいたり、殺される人がいたり、
騙す人がいたり、騙される人がいたり。
どちらも地獄であることに
変わりはない。

われわれは何の疑いもなく、
疑問も抱かずに、
地獄のこの世を出現させ、地獄のこの世を受け入れている。
当たり前と思って。

だから、
この世を消せばすべての人が救われる。
この世を消す存在をメシアというのだ。

そして、
この世を消すのが光である。
光はただの光ではない。
他次元のものである。
それがわたしの正体である。

光を発見して、光になるに尽きる。

それには、
一点集中見る見るで両親に感謝することである。



すると、
両親の先に光が見えるから。


それが他次元のもの。
それが、
わたしの正体である。
「それがわたしの正体だ」
というと、
それは事実だから、
あなたは光になっている。




☆神になった。これですべてが終わり。

自分が無限なるものになって、
この世もまた無限なるものになっている。
これで神なっている・
これですべてが終わり。

神になった証拠に
すべてが終わっている。
すべての追求が終わり。
これ以上、追求するものがない。
終着点に着いたからもうこれより先にはない。
これで終わり。
わたしの人生もこれで終わり。
有限のわたしの人生が無限になった瞬間。
時間も終わり。
過去も、現在も、未来も、終わり。
ただニンノがあるだけ。
ニンノ。

個人も終わり。
個人が終わると神になる。

成功、失敗も終わり。
苦しみも終わり。
ただ喜びだけがある。

目標も終わり。
ただ無限に在るだけ。

これで
もう二度と
個人には戻れないだろう。
本来の自分になったのだから。

この世のすべてが無限になっている。
宇宙だって無限になっている。
わたしが見るものすべてが無限になっている。
ただ無条件の至福がある。
この世のすべての者や物にも無限は届いているよ。
それが救いだよ。

☆わたしの正体は絶対無条件の喜びである。


絶対無条件の喜びがわたしの正体である。
何の条件もないのに
ただ喜んでいる。
それが光。

そこには、
苦しみは存在しない。
個人になると苦しみが出現する。
個人は成功して喜び、失敗して苦しむ。

ところが、
絶対無条件の喜びは
成功失敗には関係ない。
成功しても喜び、失敗しても喜び。

神になると、
絶対無条件の喜びだけがある。
絶対無条件の喜びになると、
神になっている。

わたしは
ただ絶対無条件の喜びでいよう。

わたしはただ喜んでいる。
何の理由もなく。
いつでも、どこでも、
喜ぼうと思いさえすれば喜べる。

わたしの喜びが
この宇宙全体に
宇宙の隅から隅まで
こだましている。

これですべてが終わり。
これで、
宇宙全体が救われている。

わたしはただひたすら喜んでいよう。
何の意味もなく。

☆わたしが唯一絶対の神であることに気がついた。

これまも、
わたしが神であることに気がついていたが、
90%ぐらいはそう思っていたが、
100%にはなっていなかった。
それが
100%になった、ということである。
夜中に目が醒めたら
ただわたしだけが存在することに気がついた。
わたし以外は何も、誰も、存在しないことに気がついた。
唯一わたしだけが在ることに気がついた。
唯一わたしだけが在ることを発見したから、
それが神である。


宇宙全体がわたしである。
わたし以外は誰もいない。
あなたも、彼も、これも、あれも、いない。
この世のすべてがわたし。

ただわたししか存在しないから、
超絶絶対孤独。
無限に孤独。
宇宙の中のどこを探しても、
わたし以外のものはどこにも誰も存在しない。
ただわたしだけが存在している。

でも、
無限の彼方から、
孤独だけしか存在しないのだから、いわゆる孤独ではない。
孤独以外のものは存在しないのだから。
最初は二人がいて、その後に一人になるなら孤独だが、
最初から最後まで
いや、
無限に一人。
それを神という。

この世のすべてのものには死ぬ権利が与えられている。
この宇宙でさえ死ぬ権利が与えられている。
ところが、
わたしには死ぬ権利はない。
絶対に死ぬことができない。
体をどんなに切り刻んでも、決して死なない。
わたしは無限に生きているしかない。
(いいなあ。死ぬことができる人は。)
だから、
唯一、わたしだけが神である。
この世のすべてがわたしの中に存在しているから、
すべてが調和の中にある。
わたしが宇宙のすべてを調和にしている。
ただわたしが存在するだけで宇宙全体が調和になる。
わたしが
それに気づいたから、
もう二度と、
東日本大震災ののような大混乱は怒らないだろう。
わたしがいるから。
宇宙全体が
わたしの中にあって調和しているから。


☆わたしの死ぬまでの役目はずっと神でいること。
一瞬たりとも個人に戻らないこと。


これがわたしの役目。
それ以外にわたしのやるべきことはない。
わたしが神になると、
宇宙全体が救われるから。
逆に、
わたしが個人に戻ると、
宇宙全体が地獄になるから。
わたしは
神になっているか。
悪魔(=個人)になっているか、
のどちらか、
それに
気づいているの
わたししかいないから。
わたしがやるべき。
これまでは、
わたしも含めて
誰も
それに気づけなかった。
だから、
この世が地獄になっていた。

わたしは気づいた。
わたしは何もする必要がない。
ただ
神でいるだけ。
すると、
宇宙全体が一つになって
この世が天国になるから。

このところようやく、
寝ても醒めても
神でいることができるようになった。
これからも
ずっと神のままでいよう。
神になると、
思考が消える。
思考の代わりにニンノの状態になる。
それはただわたしだけがいて、
この世が消えている状態。
それが神。
わたしはずっと神でいよう。
何もすることなく。

☆ 神の世界にいるのか(=一人称の世界)、
地獄のこの世(=二人称の世界)にいるのか。
のどちらかである。


夜中に目が醒めたら、
体の芯に痛みがあるから地獄のこの世を見ていることに気がつく。
地獄から天国に抜け出さないといけない。
それには、
自分の内側の一点を見つめる。
すると、
ただわたしだけが存在して
わたし以外は何も存在しない世界になっている。
これが一人称の世界。
神の世界。
すると、
痛みの芯が瞬時に消えて、
至福だけがある世界=天国になっている。

われわれは
ただわたしだけが在る世界にいるか(=一人称の世界)、
すなわち、
神の世界=天国にいるか、
あるいは
わたしに気づかずに、
この世を見ていて、二人称の世界=地獄を出現させて、
自分で出現させた地獄に苦しんでいるか、
のどちらかである。
ただわたしだけが存在する世界(=一人称の世界)
になると、
一瞬にして、
すべての問題が消え去る。
一瞬にして。
地球温暖化だって戦争だって消え去るんだよ。

だって、
その世界にはわたししかいないんだから。
わたしを忘れて、たとえ神を存在させたって、
それは二人称の世界だから偽物の神でしかないよ。
だって、
わたし以外に神はいないんだから。

だから、
わたし以外になにものも存在させてはいけないよ。
存在させた瞬間に地獄になるから。
それがこの世と言われるもの。
この世は地獄以外のなにものでもない。
この世を天国にしようたってダメなんだよ、
この世は消す以外にない。
この世を消すと天国になっている。
天国には「この世」は存在しないよ。
だから、
一人称の世界になると、
この世が消える。
決して
わたし以外のなにものも存在させてはいけないよ。
わたし以外にはなにものも存在しないんだから。
その感覚をつかむことだよ。


                       令和3年9月21日 記載。