i 一点光源を見る見る瞑想法



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一点光源を見る見る瞑想法



☆瞑想の本質

瞑想の本質は
意識を思考から抜け出た状態にし、
超宇宙的存在(他次元的存在:ぽっかり穴)とでも称する状態になることであります。

意識には
不調和波動と調和波動の二つがあります。
意識が宇宙全体で一つになっている状態が調和波動(光)です。
その反対の闇が不調和波動(その中心が苦玉)です。
不調和波動がすべての心や体の病の原因です。

すなわち、
超宇宙的存在(他次元存在:ぽっかり穴)に気づいたとき、すべてが調和になります。
瞑想とはこの「超宇宙的存在としてのわたし」に気づくことです。

しかしながら、
人間は不調和波動に取りつかれるのが日常になっています。
すなわち思考にはまっているのです。
その不調和波動は瞬時に地球全体、宇宙全体につながります。
なぜなら意識はすべてつながっているからです。
(これがこの地球全体が混乱している究極の原因であると
わたしは思っています。)

ところが
一人が光=超宇宙的存在=他次元存在=調和波動=ぽっかり穴に気づいただけで、この世界に調和をもたらすことができます。

それが「超宇宙的存在=他次元存在=光=ぽっかり穴」なのです。

だから、
人間一人が
本物の光=調和波動に気づくことです。

ところが
通常、瞑想においては
自分が本当に調和波動になっているかどうか、あるいはそうではないのか、
自分でチェックするのはきわめて困難です。
その方法を正確に書いてあるものがなかったことも
その理由の一つです。
だから、
瞑想をしている人みんなが混乱しています。
その原因も人間が(思考にはまっている)からです。
思考にはまっているということは、不調和波動の状態であり、
それが人間本来の状態ではないのです。
瞑想をしているすべての人間の根底にはこの問題があります。
本当に自分のしていることは真実の瞑想なのか?
ひょっとすると、
すべての人が間違った瞑想をしているかもしれないのです。

そこで、わたしは
この問題を解消するために、
この間、「一点光源を見る見る瞑想法」を思いつき、それを確立してきました。

それは
自分の意識を客観的にチェックできることで
不調和波動(=苦玉)に気づくことができ、
それが完全な光=調和波動に置き換わることを
チェックできる方法です。

「一点集中見る見る」で思考はまり状態から抜け出すこと。

ほとんどの人間は思考にはまっています。
すなわち、
この世を覆っている不調和波動に支配されている状態です。
そのとき注意してみると、
目は左右に微妙にぶれています(眼振)。
これが思考にはまって不調和波動に取り付かれて、さらに不調和波動を派生する意識です。
それは人が個人という状態に封印されてしまっている状態です。
それは、
「心ここにあらず」の状態です。
他人と心が通わない状態です。
すべての混乱と葛藤の原因がこれです。


ところが、
この状態であっても、
どこかの一点を集中して見ると、
眼振が止まり、思考が強制的に消えます。
正確に表現すると、
思考にはまっている意識の状態から空っぽの状態に抜け出します。

「思考にはまっている」ということは
ちょうど思考という壷に頭を突っ込んだ状態です。
この状態では意識には全く余裕がありません。
下図の青い線が思考で、
全体が意識です。
思考がいっぱいで隙間が全くありません。



これがすべての苦しみの原因です。
このとき、
毒ガスのような不調和波動にとりつかれ、
毒ガスを発生する意識の状態になっています。
この毒ガス(=不調和波動)は周囲に影響します。
特に親子関係が強く影響されます。
(すべての精神疾患の根源の原因が親が不調和波動取り付かれており、それを子供に降ろしているからです。)
すべての精神だけでなく肉体の苦しみがこれが原因です。

不調和波動の壷からあたまを引っこ抜くと意識に余裕ができます。
すなわち、
意識が「思考はまり」から抜け出すことで意識に余裕ができます。
それが下図ですが、
思考は、やはりそこにありますが、それに取り付かれてなくて、
意識に余裕があります。
これが健全な意識の状態です。


すなわち、こんな意識の状態に誘導できれば、
苦しみ(=不調和波動=苦玉)から開放されるということです。
これが超宇宙的存在(他次元的存在=調和波動=光=ぽっかり穴)と言われる状態です。


実際の方法

1、まず一点光源を準備します。
わたしは毎日クリニックの院長室から窓の外の木漏れ日を見ながら瞑想をしています。
木漏れ日にはたくさんの一点光源を見ることができます(赤い矢印の先の白い点)。

 
                                          図1

この木漏れ日の一つの光源を見ることです。
じっと見つめていることです。
両目で見ると、
一点光源が二重に見えるので
どちらのほうを見てもいいです。
一つの光源に目の焦点を合わそうとするのではなく、
二重にぼやけて見ているほうがいいです。
その二重に見えた光源のどちらか一方を見ることです。
どちらの方を見るのか迷うことがあるので、
めがねの片方を紙で覆って肩目だけで見るようにしています。
それが面倒な人は、
片目をおさえなくても
一つの目で見えている光源だけに集中してみればいいのです。
2、夜には木漏れ日がないので、
あるいは木漏れ日がない室内でするためには
LEDライトの電池つきの便利なものを百均(ダイソー)で手に入れることができました。
百円で買えます(DAISO:Decoration Ligts:デコレーションライト。常時点灯タイプ)。
乾電池式(単3電池2本使用)の簡単なクリスマスイルミネーションライトです。
LEDが並列に10個連なってついていますが9個はいらないので
ハサミで切り捨てて(切っても残りが点灯しています)
一個だけにして点灯して使っています。
それを3ないし5m程度離れた壁にぶらさげて
それを一点集中して見ています。


 
                    図2

あるいはそれが手に入らなくても、
たまたま目の前にあっためがね洗浄器のスイッチライト。
もっとどこにであるものでは
テレビのスイッチライト、
パソコンのデスクトップのスイッチライトもいいです。
また、公園などで瞑想するときには、
遠方にある強い点光源を見るといいです。
たとえば、遠くに見える強い光の街灯。
一等星の光など、です。
強くなくてもいいです。
できるだけ一点になっている光源がいいです。


3、まず、一点光源を見つめていると以下のように見えるはずです。

近眼の人はめがねをはずして裸眼で見た方がいいです。
わたしはそうしています。
すると一点の光が下のようにぼやけて見えます。

                  図3
                    
 

しかしよく注意してみると、
中心に黒い点があります。
 
                  図4
                  

これが不調和波動の芯、すなわち苦玉です。

この苦玉はいろいろな形があります。
その日や時間によって多様に変化してみえます。


大きい苦玉や
 
                   図5


ダブル苦玉
 
                   図6

偏在した苦玉
 
                   図7


それが無数にちらばっている。

 
                                              図8


すべての点光源で同じパターンが見えます。
実際の窓の光を見ると下の写真のように見えます。
すべての点光源の真中に黒い点が見えます。
(赤い矢印は無視してください)


                                             図9

宮崎駿の「となりのトトロ」に出てくる「まっくろくろすけ」です。
(宮崎駿も同じものを見ていたのでしょう)
宮崎駿の絵では下図のように出ています。


              図10


                               図11


例えば、うつ病になって
この世界が真っ暗闇に見えるのは、
この苦玉(まっくろくろすけ)のせいなのです。
(すべての光の中心を苦玉が占拠しているのです)
苦玉がひどいときには(大きな苦玉)、
上の写真のように大きなぎょっとする苦玉だらけで見えますが、
それほどでもないときにでも、
よく一点光源の中心を見ると
すべての一点光源の
真中に黒い点、すなわち苦玉があることがわかります。

左右それぞれ見えるパターンは違うので、
(左目では苦玉が見えて、右目ではそれが消えている場合もあります)
左右まちがわないように片目で見るようにしています。



4、ここからが苦玉消し(光=調和波動出し)の真骨頂です。
この中心の黒い点=苦玉を「一点集中見る見る」します。
このとき
必死に一点集中見る見るするというより、
(「がん見」するのではなく)
焦点をあわさないで、
ただぼーとながめているように、
頭の中は
宇宙全体を見るようにして、
宇宙を背景にして一点集中見る見る、です。
これが超宇宙的存在です。
(これが瞑想の真髄ですが、なかなかむずかしいです。)

というのも、
苦玉はそこに「一点=個がある」という認識から出てきます。
「ここに苦玉がある」という意識が苦玉を作っています。
この感覚がわかるでしょうか。

「ここにビー玉が一個ある」と思っているのは
ビー玉を宇宙全体から切り離してしまっている意識です。
これがわたしたちの日常の常識ですが、
実際には
このビー玉は
宇宙全体の不可分の一つとして存在します。

これは「そう思いなさい」ではありません。
屁理屈ではなく、
実際意識としてそのように感じられるかどうかです。

すなわち、
「この一点」という感覚が苦玉を生むのです。
同じように、
「わたし」という一点の存在を作った瞬間に
苦玉ができるのです。
だから、実は、苦玉というのが幻想なのです。
全体だけがあるのです。


このように、
意識の中に
全体感があらわれると苦玉が解消されます。
じつはこれが瞑想の真髄なのですが、
これを体得するのがとても大変なのです。

宇宙全体からこの苦玉を見ている感覚。
あるいは逆に、
この一点の苦玉から宇宙全体に抜け出る感覚など。

この全体意識(の状態)が最も大切なことであり、
これがすべてです。

平成25年9月追記:最近のわたしは「ぽっかり穴」を意識するようにしています。
すなわち「ぽっかり穴」が光そのものです。

これができていないと
苦玉が消えないし、
それは
本物の瞑想ができていないということです。

このような「見る見る」の感覚は、
例えば、
立体画像を見るような感覚に近い(全く別物ではありますが)。
目が一瞬ある感覚になったとき
立体画像が立体に見えます。

 
                                            図12


この立体視と違うところは
立体視が自分の左右の目の焦点をいじることで
立体視ができるのにたいして
意識の中の全体視ができるかどうかです。

ところで、
上の様な小難しいことなんてできっこないなんて思っている人は
そんなことをしなくてもいいです。
ただひたすら真中の苦玉を見つめていればいいです。
とにかく理屈はどうでもいいですから、
ひたすらみつめていると
何かが変わっていきますから。
徹底的に見つめていることが重要です。


5、意識の全体感が現れると
その証拠にいろいろな兆候があらわれます。

わたしの場合はブログに書いたように
「極楽耳鳴り」が聞こえるようになることです。
ある人からそれは528HZの音だと教えられました。
ネットで探して聞いてみると、
それに近いことは確かですが、
ネットの音には音魂がありません。
似て非なるものです。
でも、その音に近い感じです。
「極楽耳鳴り」が聞こえてくると、
周囲が明るくなってほんわり、あたたかな雰囲気がでてきます。
すなわち
調和波動があたり全体に満ちてきます。


その瞬間に
苦玉に隣接して光玉(調和波動)がポンとあらわれます。


                  図13
 
その出現は突然であり、
感動的でさえあります。
ぽこり!
と出てきます。
しかしながら、それは、
わずか、0.5mm程度(感覚的に)のものであるので
これを見逃さないように!
(上図の全体が一点の光源なのですがから
どれほどそれが小さいかわかるはずです。
でもそれは光ですから、
はっきりと見えます。下図のような感じ)

      図14

どんなに目が悪くても心の目がありさえすれば
見えるはずです。
これが最も重要です。
この世界に光が降りた瞬間です。
(こんなちっぽけなのに!?????とお思いでしょうが、
でもけっして「ちっぽけ」ではないのです。
一点光源に光玉が降りた瞬間に
見ているものすべてに
同じように光がおりるのです。)

そしてその光玉が苦玉の中心に寄ってきて、
次第に苦玉を凌駕していきます。
光の中心に苦玉があり、
そのまた中心に光玉があります。
(最近では、これを、「苦玉に穴が開いている」
と表現しています。
それがすべての精神疾患が治癒した瞬間です。)
それをわたしは「ぽっかり穴」と称しています。


                    図15

そのあいだ1、2分から数分。
 
そうして完全に光の世界になります。
苦玉が解消して下図のように光輝きの状態になることもありますが、
たいていは上図のように
苦玉の中に光玉があってドーナツ状にになっているのが普通。
それをぼやけてみると、
下記の光輝きの状態に見えます。

 
                   図16

これで見ている周囲の世界のすべてが光ってきます。
すなわち、
光が降りた世界が周囲にあります。
すべてが光輝いています。




 
                                               図17


でも、
人間はすぐに現実世界にひきもどされ思考にはまりますので、
例えは、苦玉を消して、光の世界にひたっていながらも、
「あの仕事をすましておかないと」
なんて思っているうちに、
その間1、2分もしないうちに
また苦玉の世界に戻ります。
一点光源を見ると、下図のように、もとの苦玉に戻っています。

 
                                                図18

すなわち苦玉の世界と光の世界を
行ったり来たりしているわけです。
それが如実にわかるようになります。

自分の何でもない行為が
例えば
「あ、ここにビー玉がある」
と気づいただけで、
苦玉を作っているのです。

だから、
何度も
一点光源を見る見るして
苦玉に気づいて、
何気なく作っているこの不調和波動世界から
光の世界へと切り替えればいいのです。
これが瞑想の真髄で す。




                    図19

先にも言いましたように、
普通は光が降りた状態での点光源は
は上図のように
苦玉の中の光玉の共存としてドーナツ形の苦玉に見えます。

これが完璧な状態といえます。

そして苦玉が残る場合もあります。
下図のように、
苦玉の黒い部分があったとき、
その部分(赤い矢印)を見ると、


                  図20

また光玉があらわれて
苦玉を排除してしまいます。
光玉のダブルです。


                    図21

そして、上のほうに残った黒い苦玉部分を見る見るしていると
また光玉がポンと現われて、
トリプルになったりします。


                   図22
そんな風にして、
色々な面白いことが起こっています。
苦玉が解消されて
ぼやけた感じになります。


                   図23



しかしそれをよく見ると
小さな光玉の集束のようにみえます。

                   図24


こうして苦玉を消すことができると
面白いように
光玉(=ぽっかり穴)を出現させて、
苦玉を消すことが自由自在に
できるようになります。

こんどはあっちの点光源の苦玉を消そう、などと。
光玉を出現させて
次々に苦玉を解消していくと、
いつのまにか周囲のすべての世界に光が降りています。



☆最終的には自分の苦玉の中に「ぽっかり穴」
を見ることです。


自分の内側を見ると、
そこには必ず「ぽっかり穴」を発見できます。
それを見つめることで思考が消えます。
これがとても大切なことです。
心が思考に支配されているということが
この不調和波動の世界に支配されているということです。
それがすべての苦しみの原因です。

そして、「ぽっかり穴」を発見することで思考を消すことができると、
この不調和波動の世界とは反対の、
調和波動=光の世界になります。
それが図に描いてある「本当のわたし」です。
それこそが、
すべてが調和する世界です。

そして、
その「ぽっかり穴」は無限なるものです。
「ぽっかり穴」は宇宙をも超えて、すべてを含んでいます。
それに、
気づいた瞬間に
あなたと、この全宇宙が調和しています。
この世で存在するものは、
ただこの光のみ、であることがわかります。
それが「究極の気づき」なのです。



最後に
上図の中心に見えるのが光玉です。
これが「ぽっかり穴」です。
そして、それが本当の私です。
この光玉をじっと見つめながら「これはわたしである」と宣言することです。
それは事実ですから、独特の状態になります。
それが最終的な状態です。



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